承認欲求に陥っていませんか?

Ia ora na!
相手中心主義を考えたとき、陥りやすい問題があります。
それは、「承認欲求」という問題です。

先日、クライアントの懇親会でのできごと。
製造部のリーダーが悩んでいました。
「現場のメンバーを会社が目指す方向に向かせたいのだけれども、なかなか向いてくれない。どうしたらいいのか?」
その時、経営者の答えはこうでした。
「そうだよね。なかなか同じ方向に向いてくれないよね。だけど、そんな時に私が心掛けていることが1つあるんだ。それは、私だけは最後まで“あきらめない”ということ。私があきらめちゃったら終わりだからね」
このやり取りをそばで聞いていた私は、現場リーダーの真摯な姿勢とともに、経営者の姿勢に強く感動しました!!

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MG(マネジメントゲーム)の思想に、Y理論、相手中心主義があります。
この思想は、ややもすると間違った解釈をしてしまう恐れがあります。
それは、相手に気に入られようとすること、認められようとすること、いわゆる「承認欲求」に陥る恐れです。

アドラー心理学というものがあります。
ここでは、他者から承認を求めることを否定します。承認を求めてはいけないのです。
そもそも人はなぜ他者からの承認を求めるのでしょうか?
多くの場合、賞罰教育の影響、「いいことをしたらほめてもらえる」「悪いことをしたら罰せられる」というやつです。
これでは「ほめてくれる人がいなければいいことをしない」「罰する人がいなければ悪いことをする」という、誤った行動になる恐れがあります。なぜなら、ほめてもらうことが目的になっているからです。
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていく。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになってしまいます。
我々は、他者の期待を満たすために生きているのではありません。
そして、他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではありません

例えば、仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、「わたし」であることを抑えて、仕事が苦しいものになるでしょう。

それでは自分勝手に振る舞っていいのか?というと、そうではありません。
アドラーは、「課題を分離」することが大切と言っています。
「これは誰の課題なのか?」「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していきます。そして、他者の課題には踏み込みません。およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことによって引き起こされます。
踏み込みはしませんが、見守るのです。援助の用意があることを伝えて、じっと見守る。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」
自分を変えることができるのは、自分しかいません。

相手のことを信じることは、あなたの課題。
しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題。
課題を分離、冷静に線引きをして決して介入しない。

自らの生について、自分ができるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけ。
その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、自分にはどうにもできません。

上述の経営者のように、他者の課題に介入せず、相手を信じて、「あきらめずに」見守る。これこそが自分の課題なのです。
そんなことを強く感じました。

「相手のことを信じて見守ることが、自分の課題」

それではまた。
Mauruuru

参考文献:「嫌われる勇気」岸見一郎、古賀史健

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